MBTI自認警察とは?|MBTI界隈の「タイプ取り締まり」の心理とは?

みなさん、「自認警察」という言葉をご存じですか?
MBTI界隈でときどき見かける、“他人のタイプ自認を取り締まる人たち”のことです。
「それ、本当にINFJ?」「Fiってそういう使い方じゃないよ」――。
正しさの名のもとに、人の自己理解をジャッジしてしまう。
けれど、少し立ち止まってみましょう。
もしかしたら、あなたの中にも小さな自認警察がいませんか?
SNSで誰かの発言を見たとき、
「なんか違う」と心の中でつぶやいたことがあるなら、それもまた“内なる取り締まり”の一形態です。
自認警察とは、他人を裁く現象であると同時に、
私たち自身の不安や劣等感、そして正しさへの執着が映し出された鏡でもあります。
自認警察に走る心理
理論のレンズ①:ユング心理学
――タイプ論に恋した人が、いつのまにか“取り締まり官”になるまで
ユング心理学では、人が社会の中でうまく生きるために被る仮面をペルソナ、
そして、その裏に隠された否認や抑圧の領域をシャドウと呼びます。
タイプ論を学び始めた頃、私たちは「知ること」で安心します。
自分の行動が説明できる。人間関係も整理できる。
しかしそのうち、知識が増えるほど「正しく理解していたい」「間違いたくない」という欲求が強まり、
タイプ知識そのものが“正しさの仮面(ペルソナ)”に変わっていきます。
ところが、その仮面の下には――
「本当はまだわかっていない自分」「揺らいでいる自分」=シャドウが息を潜めています。
この“わかっていない自分”に直面するのは怖い。だからこそ、他者の誤りを見つけることで、
「自分は理解している側だ」と感じたくなる。
やがて、その防衛のエネルギーが強まると、
タイプ論を守るための“知的な攻撃性”が生まれます。
それが、ユングの言うコンプレックス――感情を帯びた自動反応の塊です。
つまり、「タイプ論が好きすぎる」ことが悪いのではありません。
問題は、その“好き”が満たされないとき、
その欲求が外に漏れ出して、他人への訂正や断定という刃になってしまうことです。
本来、タイプ論は人を理解するための地図。
けれど、地図を守ることに夢中になると、
私たちはいつのまにか、地図の外にいる他人を取り締まる側に回ってしまうのです。
理論のレンズ②:アドラー心理学
アドラーは、人間の行動の多くが劣等感(I am not enough)から出発すると説きました。
この劣等感は悪いものではなく、「もっと良くなりたい」「理解したい」という成長のエネルギーです。
しかし、それを健全に扱えず、「他人より上に立ちたい」「自分のほうが分かっている」と方向を誤ると、
劣等感は優越追求という形で表に出ます。
これが、いわゆる「マウントを取る心理」の正体です。
SNS上のタイプ論界隈で起こる“自認警察”も、この構造の中にあります。
他人のタイプ自認を訂正することで、ほんの一瞬、安心が得られる。
「自分は正しい理論を知っている」「理解していない人を正せている」という感覚。
しかし、その快感は劣等感を一時的に麻痺させる麻薬のようなものです。
本質的な安心にはつながらず、次の「訂正」や「断定」を求めてしまう。
知識の優位性を保ち続けなければ、不安が戻ってくるのです。
そして――よくあるのが、返り討ちの瞬間です。
マウントを取る側は、自分のほうが理論に詳しいと思っています。
けれど、相手は体験や自己洞察の精度が圧倒的に高い場合がほとんどです。自認警察は、そこに気づかず相手の自認に対して疑いをかけますが、相手の事は相手が一番知っています。
静かに「私がそう感じたのは、こういう背景があるからです」と語られたとき、
知識だけで築いた優越感は音を立てて崩れていく。
そのとき、劣等感が再び顔を出す。
「自分はまだ足りていなかった」という現実に直面して、その痛みを覆い隠すために、また別の相手を訂正しに行きます。
――これが、アドラーが言うところの「劣等感の悪循環」です。
アドラー心理学では、この循環を抜け出す鍵を「共同体感覚」と呼びます。
つまり、自分の知識や理解を“誰かより上に立つため”ではなく、
“より深く関わるため”に使う感覚。
タイプ論も同じで、本来は人を区別するためではなく、
つながりを再構築するための言語のはずです。
マウントを取る一瞬の快感と、
相手の理解に触れたときの静かな感動。
どちらがあなたの心を豊かにするかは――
もう、答えが出ているはずです。
理論のレンズ③:社会心理学——同一化と“顔”(フェイス)の脆弱性
――「正しさ」でつながる集団と、断定が生まれるメカニズム
社会的アイデンティティ理論:タイプ=居場所のシンボル
社会心理学では、人は集団への帰属によって自己評価を支えるとされます。
タイプ論の世界で言えば、「私はINFJです」「自分はNe型だからこう考える」といったタイプ=内集団の自己定義です。
この帰属が強くなるほど、別タイプや曖昧な自認を“脅威”と感じるようになります。
つまり、自認警察が他者を訂正したくなるのは、他者の曖昧さが自分の居場所を揺るがすように見えるから。
理論を守りたいのではなく、自分が属する“安全な集団”を守りたいのです。
確証バイアス:見たいデータしか見えなくなる
次に働くのが確証バイアス。
人は自分の信じている理論を強化する情報ばかりを拾い、矛盾する要素を無意識に捨てます。
たとえば、「この人は外向的だ」と思った瞬間、内向的な発言は見えなくなる。
SNSでは発言量や表現トーンなど限られた断片しか見えないため、バイアスが極端に増幅します。
結果、「自分の理論に合わないもの=間違い」と感じ、訂正という形で“整合性”を取り戻そうとします。
オンライン脱抑制効果:顔が見えない安心が攻撃を生む
また、SNS特有の心理作用としてオンライン脱抑制効果があります。
匿名性、即時性、非対面性が重なることで、人は相手の「顔(face)」を意識しにくくなり、
リアルでは口にしない断定的な言葉を発しやすくなる。
「間違ってますよ」「それFiじゃないです」――。
その一言の裏には、相手を見ていない安心感と、自分の“正しさ”を誇示できる安全な舞台という構造があります。
つまり、SNSは優越追求の舞台装置としても機能しているのです。
認知的不協和:ズレの不快を“訂正”で解消する
そしてもう一つの要因が認知的不協和。
自分の理解と他者の自認が食い違うと、人は心理的な不快感を覚えます。
この不快を減らすために、相手を訂正したり、理論を再定義したりする。
つまり、“取り締まり”は不安を下げるための自己調整行為でもあるのです。
訂正しているようで、実は「自分の理解を守っている」――ここに自認警察の本質があります。
統合的理解:取り締まっているのは、他人ではなく自分
これらの心理が重なると、タイプ論の議論は「理論の正しさ」ではなく、
「自分の不安をどう扱うか」の戦場に変わります。
自認警察は他人を攻撃しているようでいて、実際には自分の内なる揺らぎを取り締まっているのです。
だからこそ本質的な成長は、他者を訂正することではなく、
自分の不安と優越欲求を見つめ直すことからしか始まりません。
タイプ論とは、他人のラベルを正す学問ではなく、人間の不完全さを理解する学問なのです。
エニアグラムで可視化
自認警察になりがちな人は、エニアグラムでいう健全度5の傾向がありますね。
自分を保つ力がまだありながらも、心の奥では「もっと理解されたい」「自分は間違っていない」といった承認への渇きが静かに動き出します。
このタイミングでタイプ論や心理学を学んでいると、その知識が「他人を理解するため」から「自分を証明するため」へとすり替わり、知らぬ間に“自認警察”のバッジを手にしてしまうことがあります。
以下は、健全度5のときに各タイプがどんな瞬間に“取り締まりモード”に入ってしまうのかを描いたものです。
辛口ですが、どれも人間らしい愛すべき姿です。
タイプ1
正しさの基準に対して敏感なため、誤った理論を見ると放っておけません。
「理論を守ること=自分を律すること」と思っているため、訂正行為は使命のように感じられます。
しかしその裏では、「自分が間違えたくない」という完璧主義の影が動いています。
健全度5のタイプ1は、正義感が強まるあまり、知らず知らず“理論の清掃員”のようにSNSをパトロールしてしまいます。
タイプ2
他人のためを思ってのアドバイスが、実は求められていないことがあります。
「あなたのタイプ、違うと思うよ」と言うのは親切のつもり。
でもその言葉の奥には「あなたに必要とされたい私」が隠れています。
健全度5のタイプ2は、愛情と承認欲求の境界が曖昧になり、知らぬ間に“お節介な警察官”になりやすいです。
タイプ3
正しく指摘できることが、自分の能力証明になります。
「他人のタイプを見抜く力」こそが、自分の成果と感じるのです。
そのため、つい断定的な口調になりがちですが、相手が深い洞察を語り出すと急に焦りを覚えます。
健全度5のタイプ3は、訂正の裏で「すごい自分でいたい」という自己演出をしているのです。
タイプ4
自分らしさへの感性が鋭く、他人の表現が浅く見えると反応してしまいます。
「本当のFiは、そんなに単純じゃないのに」と思わず口に出してしまうことも。
健全度5のタイプ4は、独自性を守るために他者の“浅さ”を裁きたくなります。
本物/偽物の線引きは、孤独を守るための無意識の防衛です。
タイプ5
知識と理論の純度を重視し、「誤用」は理知的な汚染に感じます。
一次資料を調べ、冷静に正そうとする姿勢はまさに“学術検察官”です。
しかしその動機は、「自分の知識が意味を失わないでほしい」という不安から生まれています。
健全度5のタイプ5は、冷静さの裏に“知識こそ自分”という防衛を抱えています。
タイプ6
理論の矛盾を見ると落ち着かなくなります。
「その人、本当にNi優勢?」と確認するのは、安心を取り戻すためです。
健全度5のタイプ6は、整合性の穴を埋めることで安全を確保しようとします。
その訂正は他人への疑いではなく、「世界が崩れないための点検」なのです。
タイプ7
議論を盛り上げたい気持ちから、軽口で突っ込んでしまいます。
「それ違うと思うけど〜」と冗談めかして言ったつもりが、相手には真剣な攻撃に聞こえることも。
健全度5のタイプ7は、悪意がない分だけ、空気を読み間違えて炎上しやすいタイプです。
訂正すらエンタメにしてしまうのが、7の人間らしさでもあります。
タイプ8
場の混乱を見ると、本能的に主導権を取り戻そうとします。
「理論の軸を整えよう」と仕切るのは、支配ではなく秩序への欲求です。
健全度5のタイプ8は、力=安心という感覚が強く、議論の主導を握ることで自分を落ち着かせようとします。
ただし、他人から見ると強圧的に映ることもあります。
タイプ9
普段は平和主義ですが、場の空気が荒れると“自認警察”に変わります。
「そんなにタイプにこだわらなくてもいいじゃないですか」と介入するのは、争いを見る不快さに耐えられないからです。
健全度5のタイプ9は、静かな取り締まりで空気のバランスを取ります。
優しさと回避が共存する、“平和の警察官”です。
「被害に遭いやすい側」の傾向——心理的“引力”
- タイプ4・9:同一性が揺れやすく、断定に飲まれやすい。
- タイプ6:権威に弱く、不確実性を埋めるため他者判断に依存。
- タイプ2・3:外的評価の揺さぶりに脆弱。「間違い自認=恥」。
- タイプ5:訂正=知の破綻に直結しやすく、自己価値に刺さる。
自認警察と被害者の相互作用は、「私を確かにしたい」という同じ願いの裏返しです。
実装レベルの提案:燃やさず、深めるための技法
A. “警察化”しそうなときのセルフチェック
- これは相手から求められた助言か?
- 事実・行動・文脈に即しているか(性格特性の推論過剰になっていないか)?
- 目的は相手の理解か、自分の安心か?
- 言い方は相手のメンツを守っているか(選択肢提示・暫定表現・可逆性)?
B. 「訂正」ではなく「比較検討」を促す言い回し
- 「こう読める点もあります。ご自身ではどう感じますか?」
- 「この行動はSeにもNiにも説明可能で、文脈依存に見えます」
- 「自己認識の根拠(体験)を、もう少し聞いてもいいですか?」
C. 被害に遭いがちな側の自己防衛
- 一次体験の言語化:タイプ根拠を“語れる”と、断定に飲まれにくい。
- 多理論照合:MBTI(認知機能)/ビッグファイブ(特性)/エニアグラム(動機)で多面的防御。
- “保留する勇気”:暫定の型で運用し、対面の反証可能性を残す。
自分もある意味自認警察です(笑)
もしもあなたが、SNSで他人のタイプを訂正したくなるほど理論に情熱を持っているなら――
それはもう、“自認警察”を卒業して、タイプ診断士として活動したほうが何倍も楽しいです。
SNS限定で謎の正しさを振りかざすより、実際に人と向き合ってタイプを確かめる…お金をもらってできます。
SNSで「違うと思う」と打ち込む代わりに、目の前の人と2時間話してみてください。
その瞬間にわかります。
人って簡単に決め付けられないよね!と
タイプ診断士の毎日は、その感動の連続です。
お客様はみんな、「本当に自分のタイプを知りたい」と願う人たちばかりで、表面のラベルを超えて、高いレベルでタイプ論とお客様の内面について論じあう。無意識の奥まで一緒に探っていく。
そこで見えるのは、ただの診断ではなく、人が“自分の物語”を取り戻す瞬間です。
正直に言います。
この仕事は、楽しくて仕方がありません。
知識も使えるし、深い対話もできる。自認警察の不快対話とは全く世界が違います。
そして何より、お客様の目が変わる。
その変化を間近で見られる世界は、SNSでアイコンと投稿だけみて“取り締まる側”より、ずっと健康的で、ずっと幸福です。
だから――
他人を裁くくらいなら、人を照らす側にまわりましょう。
自認警察で終わるには、あなたの洞察はもったいない。
タイプ論を本気で愛しているなら、それを仕事にしたほうが早いです。
嫉妬されるくらい、面白い世界が待っていますから。








